2月の言葉

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    〜人生を厳粛なものに〜

     教団創立八十周年の幕開けは「大歓喜」に匹敵する「大寒気」が日本列島を大きく包んで、自然の営みを味わうのに最適なスタートでしたね。大寒気の中の寒中読誦修行、皆さま、本当にお疲れ様でした。皆さまに大歓喜は訪れたでしょうか?
     今月の会長先生のお言葉は「人生を厳粛なものに」です。とうてい厳粛とは言えない人生を送る私としては読みたくない気持ちになりました。でも会長先生は私の心をお見通しで、分かりやすく教えて下さいました。「ひと」はそもそも生きているだけですでに厳粛な人生を歩んでいるのに私が意識していないだけだと言うのです。もっと分かり易く言えば、「いまを大切に生きること、一日を、一時間を、そしていま目の前の一分一秒をおろそかにしないで、ていねいに暮らすことが大切です。と書いて下さいました。そして、その為にはリズムよく「ポンッ」と心に真理の電流を流し、「パッ」と心に「真理の灯り」をともすのが良く、ありがとうという感謝の言葉が身につけば、ことさら意識しなくても、私たちの日常は自然に厳粛なものになっていくと教えて下さいました。
     昨年の十二月の初めに私は左手首を軽く床に突いて痛めてしまいました。持病を持つ私には軽い怪我も治りが遅いのが普通なので、日にち薬だろうと思い湿布を貼って過ごしていました。が、年が明けても痛みは治まらず、ある日、急に痛みがひどくなったので病院でレントゲンを撮り診察を受けました。骨に異常はないけれど、一部小さく石灰化しているのが悪さをしているのだろう。このように身体の一部が石灰化するのは私の持病であれば避けられないので、対処するには痛みがひどくなった場合に注射をして過ごすしかなく、石灰化はいつ、どの部分に起こるか分からず、痛みが出るか出ないかも分からないので「仕方がないね…」と説明されました。この症状のリスクがあるのは知っていましたが、やはりショックで私は何も考えたくなくなりました。「生きている」ただそれだけで不安でいっぱいです。どんどん溢れ出す不安をなんとか堰き止めなければと、勇気を出して「ありがとう」と小さく呟きました。ありがとう、ありがとうと繰り返しながら手首をそっと撫でてみると、少しの腫れと熱があるのに初めて気がついた自分にびっくりしました。私は私の身体に関心を持たずに生活しているのです!自分の体に申し訳ないと感じて、この痛みは私に何かを教えようとしているはずだと思い直し、心を振り返ってみました。身体の中でいつ・どこで・どのように物質同士が出逢い、石灰化するのはまるで「因縁果報」そのものではないか。しかも痛みが出る、出ないが分からないと言うのも受けとめ方次第で報いがどのようにでも変化するという「無常」の教えそのままです。私の身体は私のものではなく仏さまからの預かりもの。やはり真理の法則から外れることはない。だとしたら、はしくれであっても仏さまのことをさせて頂くこの身体は、ていねいに使わなくてはいけないのでは?と思うようになりました。この小さな石灰化の痛みはこんなに大きな気づきを私に教えてくれました。徐々に痛みは消えましたが、今でもふと痛みが走ることがあり、石灰があることを思い出します。私には病気のリスクがあること、だからこそていねいな食生活、ていねいな暮らしをすること。病気を持ちながらもいま、こうして居られることに感謝を忘れないように。と知らせてくれたのです。ありがとうの呟きが、(ああ、有難い)と心の深くから感じる心に変わりました。「ひとさまにも、自分にもていねいに歓心をもって生きる」教団創立八十周年の節目の初めに頂いたこの大歓喜に感謝し、私の生き方を「ていねい」に切り替えていきます。合掌

    少年部長 齋藤晃世
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