1月の言葉

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    〜みんな善の根っこをもっている〜

     

     新年あけましておめでとうございます。

     

     お蔭様で本年、京都教会は発足60周年を迎えさせて頂きました。いわば還暦です。おめでたいということのみならず、基に還る、原点に還って新たな精進をお誓いしたいと思います。

     

     さて、弊会機関誌の平成31年『佼成』1月号に掲載されました会長先生ご法話は、「みんな善の根っこをもっている」という題であります。このタイトルを目にして私は、よく世間で使われております、「あの人、口は悪いけど、根はいい人なのよ」「あの人、一見ぶっきらぼうな人のように見えるけど、根はやさしい人よ」などと言ったり、そのような言葉を耳にしたりすることが多いのではないかと思います。それだけ、日本人の心の中に仏教が根づいているのだと思いました。

     

     前段の「乾いた根に潤いを与える」というご法話の中に、だれもが善根(ぜんごん)をもっており、その根幹を肯定することで、かさかさに乾いた根に潤いを与えられると教えてくださいました。
    ふりかえってみますと、私は根に注目することなく日々を過ごしております。根は丈夫だからこまめに面倒見ずとも、多少放っておいても問題ないという気持ちで過ごしておりました。
    しかし、根も生き物である訳で、潤いが必要な存在に違いありません。生きているのだからこそ潤いを与え、より生き生きとしたものとなることが大切であり、そのご縁によって自分も生き生きとした日々を過ごせるのだと気づきました。

     

    言い換えれば、生かされ、生きる姿が身近に現れるということだと思います。自分自身の根幹を肯定していただくということは、別な表現をすれば、「拝まれている」ということではないかと思います。
    反対に自分が拝ませて頂く立場に立って考えますと、自らのいのちの根幹を肯定する具体的な行為は、先祖供養にあたると思います。私という尊いいのちの根っこであるご先祖様は、みな素晴らしい、有難い存在だと、感謝する。

     

    また、他人のいのちの根幹を肯定するということは、一人ひとりの仏性を合掌・礼拝し、讃嘆することだと受けとめました。こうした行を続けていくことで、自他ともに利益を得、その悦びを世間に広げていくことにつながっていくに違いないと信じます。

     

     後段の「ほんとうの『正定聚』に」という中の最後に、「布教なくして宗教なし」というお話をお分け頂きました。そのことと同じく開祖さまが、かつて茨城の下館教会道場落慶式典で「座ったままの仏教は滅び、足を使って歩く仏教は栄える」というご法話を述べられたと伺いました。

    開祖さまも、会長先生も布教の大切さを強調されています。つまり、「みんな善の根っこをもっている」ということを信じて、人さまの幸せを念じながら布教伝道に歩き続けることで、「ほんとうの『正定聚』」になれるということを学ばせて頂きました。
     

     これからも私どもにはその使命があることを自覚して、菩薩行に励んで参りたいと決定させて頂きます。

     

    合掌
    京都教会長 佐藤益弘
    【佼成1月号はこちらからご覧頂けます】
    【朗読版はこちら

     


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