10月の言葉

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    〜「仏」を供養する〜

     

    「今月のことば」を担当させて頂きます、乙訓支部、支部壮年部長の外園恵三です。今月の会長先生ご法話は「仏」を供養するです。


     前半のなぜ「仏」がたくさんいるのかでは、法華経の中で「三百万億」や「八千億」の仏と出てきますが、釈尊のように悟った方や亡くなった方だけではなく、日々に出会う一人ひとりを、仏と受け止めると見方が変わってくると教えて頂いています。
     

     また、後半の「供養」の基本は思いやりでは、まず出会う人はみなすべて仏と信じ、受け止めること。そして目の前の人に「恭敬・尊重・讃嘆」の気持ちを示し、供養を行う。供養の方法として一番大切なのは、教えを実践することだとし、私たちは思いやりあふれる人間になるにつれて、「仏」に近づくと教えて頂いています。
     

     さて、私はこれを拝読させて頂き、日ごろの自分に照らし合わせてみると、自転車で逆行する奴!駐輪場にちゃんと止められない奴!指示器を出さずに廻って来る奴!電車に割り込み乗車する奴!電車から降りたらすぐ歩きスマホの奴!職場で挨拶もろくに出来ない奴!協調しない奴!ミスばかりする奴!文句を言ってからする奴!何かと上から目線の奴!
    スーパーの売り場の前で長話しするおばちゃん(失礼!ご婦人!)支払い時に小銭を弄る奴!メールをなかなか返信しない奴!友達申請をしてもシカトする奴!自治会の事を市役所に直接相談する奴!何かと意見・文句ばかり言ってくる奴!等々。あ〜考えてみればまだまだ「奴」がどんどん湧き出てまいります。

     

     そこで会長先生のご法話に照らし合わせて一寸見方を変えてみますと、先の「奴」に遭遇する状態の私はすべて「自分は急いでいるのに!」「自分は正しいことをしているのに!」「自分の日常を邪魔しやがって!」自分はOO!と自己を主張し、自己中心的な自分になっている事に気づかせて貰います。目の前の「奴」を自分を悟りに至らしめてくれる「仏」に見方を変えてみると、必然的に対応も変わって来ます。
     

     さらに会長先生は、その「仏」に「供養」を行うのもむしろ当たり前のとこだとおっしゃって頂いています。慈悲の心で日々をおくり、人を思いやる。つまり自分を主張する前に相手の事に思いを馳せ、相手がその行為を行うには必然性が有ることを知る。するとこちらにも余裕が出来て、主張する気持ちから譲る気持ち、人を思いやる気持ちへと変わって参ります。
     

     私の母(八九歳)は昨年から、グループホームにお世話になって居ります。今までの環境とは違い、食事もホームの方々と一緒ですし、諸行事もホームの方々と共に参加しなければなりません。お風呂やトイレ等も施設の方にお世話にならなくてはなりません。自分の我儘が罷り通る環境では有りません。その中で施設の方からは、お宅のお母さんはいつもみんなに何かと「ありがとう」を言って下さいますね。と言って頂いています。私も行けば「ありがとう」をしつこいくらいに言ってくれます。全てに感謝の姿勢で示してくれています。
     

     昨今、テレビ等で「あおり運転」などの悪質ドライバーが連日報道されていますが、これも自分の運転を邪魔する人!の延長線上にある「自己中心的思考」の行動ではないでしょうか。
    目の前に存在する「相手」を「仏」と見て、思いやりの心で、母のようにいつも「ありがとう」の気持ちと言葉を忘れず、接してまいりたいと思います。「我以外皆我師」とのくだりも頂いております。

     

     今回の投稿の機会を与えて頂き、誠にありがとうございました。

     

    合掌
    乙訓支部 支部壮年部長 外園恵三
    【佼成10月号はこちらからご覧頂けます】
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